「なにわ乳がんを考える会」

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    なにわ乳癌を考える会ふたたび中止。 

     

    2021年8月予定で,ギリギリまで現地開催を予定していたのですが,

    大阪での緊急事態宣言が6月以降も延長となり,泣く泣く今年も中止の判断をしました。

     

    いつもの病院での患者会と比較すると,広い会場で,密に集まって話し合いをするわけでもなく,イベントとしてはかなり感染リスクは低い形式です。

    ワクチン接種もやや加速度も付いてきたようなので,今年度後半ではできるのではないかと希望は持っています。

    ZOOMもいい面もありますが,リアルでの講演会の方がメリットは大きいと考えています。

     

    開催可能になったらまたホームページに案内あげますので,それまで皆様お待ちください。

     

    2021.6.16 茶屋町ブレストクリニック 脇田和幸


    ご挨拶『大阪QOLの会、100回記念を迎えて』

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      大阪QOLの会、100回記念を迎えて

       

      1999年11月から始まって、

       

      2018年4月で100回の記念日を迎えることができます。

       

      18年半の間、先生方はじめ世話人の方々の患者会への

       

      熱い思いとご協力のおかげです。

       

      「会」が始まった頃は情報を得るのが難しい頃で

       

      「会」に来られて、患者同志の意見交換や先生方からの

       

      新しい治療等の情報がとてもありがたかったですし、

       

      参考にもなりました。

       

      今はパソコン、スマホ等で簡単に情報を入手できるようになりました、

       

      が患者会に集まって下さる方々は情報だけでなく、

       

      同じ病気をした者同志の「生の声」を聞きたいとの思いで

       

      会に足を運んで下さいます。

       

      これからも「心のこもった人の暖かさ」の感じられる会に

       

      してゆきたいと思っています。

       

       

      会が始まって以来、

       

      大阪QOLの会の為に会場を提供して下さっています

       

      済生会中津病院に深く感謝いたします。

       

      これからもどうぞよろしくお願い致します。

       

      大阪QOLの会

       

      世話人代表

       

      堀早苗

       

       

      乳がん患者会「大阪QOLの会」は

      2018年4月14日(土)に100回記念講演会を行います。

      第一部:記念講演「大阪QOLの会のあゆみ」

      第二部:医療者とのグループトーク「最新の乳がん情報を語り合おう!」

       

      詳細は大阪QOLの会ホームページ

      をご覧ください。


      大阪QOLの会に参加された新人看護師さんたちの感想文

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        大阪QOLの会に参加された新人看護師さんたちの感想文


        大阪QOLの会は

        14時からは「患者さんが輪になって話し合う小さなグループトーク」、

        15時からは「先生方による講演会」、

        16時からは「先生方にご回答いただく質問コーナー」と

        3部に分かれています。

        4月11日は15時からの講演会に

        済生会中津病院の若い看護師さん14名が参加して

        くださいました。


        古谷義彦先生の講演会テーマは

        「乳がん再発の早期発見は意味がない?」でした。

        海外の文献を引用し、

        細かい表やグラフを使った少し難しい説明もありましたが

        講演内容が皆さんの関心が高いテーマだったため、

        質問コーナーではいつも以上に

        多くの質問が寄せられました。

        古谷先生、脇田先生がていねいに、

        また時々冗談なども交えながら

        回答して下さり終了しました。

        その後、参加された看護師さんたちが

        感想文を届けてくださいましたので、

        ここでご紹介したいと思います。


        <「大阪Q.O.Lの会に参加して」>

        同じ病気を経験されていても症状は異なり

        治療の仕方も変わるので、

        このような会は患者さん同士の情報共有、

        交流の場にもなるんだなと思いました。


        質疑応答がとても活発で、

        私たちも疾患についてきちんと説明できるように

        勉強しようとおもいました。


        患者さんご自身が

        すごく勉強していることが分かりました。


        患者さん全員が自分の疾患に興味をもち、

        とても前向きに考えていらっしゃるように

        感じました。


        患者様が気になって

        いらっしゃる内容を直接聞けて良かったです。

        こんな風に気になることを

        直接医師に聞くことができる場は、

        とても意義のある大切な場所だと思いました。


        このような患者会が行われている

        ということを患者さんに伝えるなど

        情報を提示させていただくことも

        大切であると思いました。




        このような看護師さんたちの感想を読んで、

        私たちも気持ちを新たにすることができました。

        機会があれば、ぜひまたご参加ください。

        (患者世話人)



        2015年 8月29日 (土) に 
        第12回なにわ乳がんを考える会 
        が開催されます。
        大阪QOLの会の参加者はもちろん、
        他の病院や患者会に属している方でも特に制限はありません。
        事前の予約も不要ですので、お気軽に参加ください。

        場 所:梅田スカイビルタワーウエスト36階 
        14時開演 (13時半開場)

        テーマ: 放射線についてもっと知ろう

        詳しい案内は PDF もしくは 大阪QOLの会のHPをご覧ください。

        次回の大阪QOLの会は、

        2015年 10月10日(第2土曜日)です。

        テーマ:「人生備えあれば憂いなし〜2025年問題から考える」
         
        講師 :鈴木久美先生(大阪医科大学看護学部)
        藤本恭子先生(西宮市安井訪問看護センター)


        大阪QOLの会のホームページへはこちらをクリックしてください。







        「高尾医師のコラム“感謝の気持ち”を読んで!!」  (患者世話人代表 堀早苗)

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          高尾医師のコラム“感謝の気持ち”を読んで!!

          このコラムを読んだ時、手術を受けた当時の事を鮮明に思い出しました。


          平成7年の阪神淡路大震災、翌8年の乳がんの手術と、私の人生観が大きく変わった時でした。

          そんな中で高尾先生のような方に出会えたことは幸せなことでした。


          高尾先生の患者さんに対する真摯な姿勢は、昔も今も変わらず、患者さんに対する接し方は、乳がんという病気で悲観的になっている者にとって大きな『力』になっています。

          “医者”と“患者”という垣根を超えて、人としてどう接するべきかを、いつも考えておられる。

          患者にとっていい医師と出会えるということは、とても幸せなことだと思います。


          乳がんの手術をして18年と半年、患者会に携わって15年・・・。

          患者会で、色々な方との出会い、そして、たくさんの別れを経験してきましたが、今こうして生かされていることに感謝しています。


          これからも大阪QOLの会が、より皆さんの心に寄り添え、「参加してよかった」と思っていただける会になるよう、先生方はじめ、世話人一同努力してゆきたいと思っています。

          大阪QOLの会
          患者世話人代表
          堀早苗

          「感謝の気持ち」 (高尾 信太郎先生)

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            感謝の気持ち
            医者になってから、昨年で30年を迎えた。最初は消化器外科医をめざし、手術に明け暮れた日々は遠い昔。いろんな意味で、純粋でひたむき、若さの特権でもありました。目の前の患者さんを助けることに全力を尽くすことをひたすら追求した毎日でした。乳腺専門医を志した頃から、患者さんとの結びつきも長く深くなり、これまで多くのことを教えられてきました。若い頃は、根拠の無い自信に溢れ、独学で無理な手術や治療を行ったこともありました。時には感謝され更に自信を深めたこともあれば、時には厳しい現実を突きつけられ、非難を浴びたこともありました。しかし、いつも目の前には患者さんがいました。いろんな場面で、多くの患者さんの生き様に寄り添う経験をさせていただき、その一つ一つがかけがえの無い私の財産になっています。
            10年前にがんセンターに赴任してきてから、診る患者さんの数が圧倒的に多くなり、毎日、夜10時を過ぎるような外来、時には12時を過ぎても終わらず、遅い外来が全国的に有名になってしまったりしました。乳腺専門医として、診断から手術、薬物療法、再発治療、終末期治療と、乳癌患者さんのあらゆる場面に関われることが、やりがいであり、自信でもありました。
            しかし、現実はだんだん厳しくなってきました。若い先生たちの相談も受けるようになり、数えきれない数の患者さんを相手にするようになりました。更に、6年前より大学病院にも行くようになり、名前を聞いただけではすぐに患者さんを思い出せなくなりました。このように二つの基幹病院を掛け持ちするようになり、基幹病院の持つ現実問題に直面しました。基幹病院の主たる役割は、救急や重症な状態にある患者さんに対する入院、手術、検査などの『急性期医療』と『高度専門的な医療』の提供であり、『慢性期医療』や『看取りを含む終末期医療』を執り行う余裕はありません。このような問題を解決すべく、1人の主治医で完結する『病院完結型医療』から、かかりつけ医を中心とした、『地域完結型医療』へと、医療体制の大きな変革がありました。また、がん薬物療法を専門とする腫瘍内科医、終末期医療を専門とする緩和治療医の台頭で、乳癌患者さんの診療も、各段階で専門分野に任せる場面が増えてきています。このように、患者さんとの関わりが広く薄くなって行く中で、もう一度、自分の乳癌診療のあり方を見直す時期に来ているのではないかと、最近よく感じます。

            毎年、数人の患者さんから年賀状をいただきます。感謝とともに励ましの言葉が書き添えてあり、いつも年の初めから勇気づけられます。
            今年いただいた年賀状から。

            「Dear
            高尾先生に巡り合えてからの10年間。私にとって本当にとても素敵な宝物のような時間になりました。10年間、心からとても嬉しく、感謝の気持ちを込めて。またきっとどこかでお目にかかれますように。」

            いつも遅くに診ることになって、こちらはふらふら、申し訳ない気持ちで名前を呼ぶと、いつも笑顔で診察室に入ってこられる方でした。診察が終わり、遅くなったことを詫びると、『全然、大丈夫です。先生こそ大丈夫ですか?ご無理なされないように』と優しく言ってくれました。どちらが医者か患者かわからない会話をしながら、最後はいつも、『頑張って下さい。』といってさわやかに去って行かれる姿に、いつも感謝していました。昨年で術後10年を迎え、再発無く、がんセンターを卒業して行かれました。
            年賀状には、新郎の横でいつも以上の満面の笑顔で微笑む、あの患者さんが写っていました。
            お幸せに。


            「晩年になって先生に巡り合えましたことは天の恵み、笑顔は生きてゆく上の心の泉…いつもありがたく感謝いたしております。」

            85歳。広範な非浸潤がんで、乳房切除術が必要な患者さんでした。それまで全く健康に過ごされており、手術も問題なく終わるものと思っていました。術前CTをみてびっくり。そこには、巨大な胸腹部解離性大動脈瘤が不気味な姿で写っていました。すぐに、神戸大学心臓血管外科に転院。二度にわたる大手術を受けられ、無事、生還されました。そして、乳癌の根治術も無事終わり、術後は無治療で経過観察になりました。今回の治療経過を記した日記を中心に一冊の本にまとめられ、知り合いの方に送られたそうです。私も読ませて頂きましたが、本当に大変な試練に遭われ辛い思いをされたにもかかわらず、治療に関わった多くの医師や看護師、メディカルスタッフを気遣われ、全てに感謝されていたことに大変感銘を受けました。季節の変わり目に何度かお便りをいただきました。花がお好きなようで、スイレンの絵や宵待草の押し花とともに、それにまつわるいろいろな思い出話を教えて頂きました。今も、外来診察では、満面の笑顔で来られ、私を元気づけてくださいます。

            このような患者さんからの励まし、感謝の言葉が私の診療の一番の原動力であり、このような患者さんとの関わりが続く限り、まだまだ頑張っていけるような気がしています。


                           兵庫県立がんセンター乳腺外科 
                           神戸大学乳腺内分泌外科       高尾 信太郎




            「神戸マラソン奮戦記」 (高尾 信太郎先生)

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              高尾先生完走


              それは、昨年5月、外来看護師さんのひと言から始まった。
              『先生、11月の神戸マラソン走りませんか?今年は初出場枠があるそうですよ』これまで10km以上走ったことが無く、無理をするとすぐに足を痛めることが多かった私にとって、フルマラソンを走ることなど考えたことも無かった。その夜、ホームページを開けてみると、昨年の大会の様子が見られた。『神戸マラソンは他と違って、沿道の応援がすごくて、感動しますよ』その看護師さんに言われるままに、ネットから出場申し込みをしようと、申込書を埋めるのだが、どうしても最後の申し込みボタンを押せないでいた。今年で56歳。体力的に自信が揺らぎ始めており、減量で少しは体重が減ったものの70Kg、わずか数ヶ月のトレーニングでフルマラソンを完走できるはずが無い、下手したら死ぬかも。悶々とした日々を過ごし、そして申し込み最終日。コンピュータの画面を見ながら、何かに押されるように申し込みボタンを押した。

              6月30日、参加合格通知が届いた。残り5ヵ月、
              42.195kmは巨大な壁として私の前に立ちふさがった。
              どのような練習をしたら良いかもわからず、週末に少し走るだけで、通勤帰宅時に、ひと駅前で下車し、家まで30分以上かけて歩くことから始めた。有名なマラソン選手の監督の本を読んだが、週3−4回のハードな練習法が書かれており、とても実践できるものではなかった。 そんな時、古本屋で『週一回のランニングでフルマラソンは完走できる 真鍋未央著』を見つけた。その後、週末には10-15kmのランニングを行い、平日にはスクワットを続けた。最初はびっこを引くぐらいの筋肉痛を伴ったが、徐々に痛みも薄れ、二ヵ月もすれば、楽に15kmは走れるようになった。10月、試しに淀川ハーフマラソンに出場した。雨上がりの淀川堤防を三往復するコースであったが、さすがに15kmを超えると急に足が動かなくなり、2時間7分でフィニッシュ。20km以上、二時間以上走ることの大変さを初体験した。しかし、フルマラソンはこの倍、完走できる自信は大きく揺らいだ。

              11月23日。当日、天気は快晴。出走3時間前には起きるようにと、朝6時起床。
              こまめな飲水とエネルギー補給をするようにとの妻の忠告を受けて、いざ、三宮へ。公園で着替えを済ませた頃には周りは多くの人で埋め尽くされており、初出場枠の『H』組へ。これは、あらかじめ目標タイムを自己申告することで順序が決まる仕組みで、『とにかく完走』を目標にしていたためスタート地点よりはるか後方で待機することになった。スタート前のセレモニーは、震災復興の話が長々と続いたが、シンボルの黄色い手袋を両手にはめたものの、心は不安で一杯。震災復興に思いをはせるどころでは無かった。
              10時。いよいよスタート。神戸市役所前、道幅一杯のランナーが次々とスタートゲイトを通過していくが、あまりにも参加者が多いため、私がスタートゲイトを通過したのはスタートの合図があってから15分後であった。
              スタートから約1km走ったところで、長いセレモニーで冷えたせいで尿意を催し、仮設トイレへ。同じようなランナーが長蛇の列。約15分並んでトイレを済ませ、いざコースに戻ってみると誰1人走っていない。沿道の応援を1人受ける形で変な気分のまま元町街を抜けると、集団の最後尾に追いついた。いつも大学に通う道筋にある湊川神社を横に見て、マイペースを守りながら長田へ向かった。5km地点通過。
              途中、小柄な女性ランナーが「みなさん、頑張って!」と言いながら、あっという間に集団の脇を駆け抜けてった。野口みずきさんだ。
              それにしても沿道の応援の人の多さはなんであろう。お年寄りから子供まで、皆が手を振り、旗を振って「がんばれ〜」と応援してくれる。
              みんな笑顔で、名も知らぬ市民ランナーたちを励ましている。ただ走っているだけなのに、なぜこんな暖かい応援をしてもらえるのか?そんなことを考えながら、新長田駅を海側に曲がりJR線に沿って鷹取へ。JRのホームを見上げると、電車待ちの人もホームから手を振ってくれている。須磨浦公園で10km地点通過。まだ道幅いっぱいの集団は途切れることなく続く。iPS細胞発見で有名な京都大学 山中教授も走っているはず、どのあたりにいるのであろう?そんなことも考えながらマイペースを守りながら前へ進んだ。
              海からは漁船からの声援も届く。沿道の人たちに励まされ、ハイタッチをかわして多くのランナーが進んで行く。まだ半分にも来ていないなか、折り返し地点から帰ってきた先頭集団が反対側を駆け抜けていく。速い!!!道は塩屋から垂水へ。ここまで15km。垂水駅前を海沿いの道に入ったところで、がんセンターの部下である、三木先生が応援しているのが見えた。まだまだ、大丈夫。足は動くし、体はしんどくない。思わず、ピースサインを送り、姿勢を正して、少しスピードアップしてしまう。部下に無様な格好は見せられない。ここでも熱烈な応援、沿道は人で溢れかえっている。
              遠くにようやく明石大橋が見えた。折り返し地点だ。しかし、まだ半分まで達していない。
              途切れない沿道の観衆に励まされ、ようやく折り返し地点に達した頃には、上半身は汗ばみ、足がだるくなり始めていた。それでもまだ18kmあたり。
              ふらふら走りながら、垂水を過ぎたあたりで、半分、20km地点を通過。ここからが未知の距離。沿道の声に導かれるように須磨の海を眺めながら進む。はるか遠くにポートアイランドが見えた。『ほんまにあそこまでいけるんかいな?』と呟く。25kmを過ぎ、須磨水族館前に来た時には、急に足が動かなくなる。ここから急に沿道の人が少なくなり、周りも半分以上の人が歩き出している。シューズの紐が足甲部に食い込み、股関節の痛みに耐えきれなくなって、道路脇に座り込む。シューズの紐を緩め、屈伸をして再び走り出す。なぜこんな辛い思いをして走っているのだろうか?もう止めようか、と何度も思いながらも、もうろうとした頭で足を引きずりながら前へ進んだ。
              何度か給水所で水分補給をし、バナナで糖分補給をしていたが、30km付近では、給水所のテーブル一面に塩昆布が置かれてあった。塩分を補給したらもう少し元気になるかもと、口いっぱいに塩昆布を放り込んだのが失敗。辛くて喉はカラカラ、ヒリヒリ、一気に疲労感が倍増。ノエビアスタジアム神戸を過ぎる頃には、下を向いて歩くことしかできなくなっていた。少し走っては歩きを繰り返し、どれくらい進んだかも頭がボーとして分からなくなってきた時、ハーバーランドに近づき、また沿道の応援が賑やかになってきた。「もう少しだから、頑張って〜」「ファイト〜」の声援、「君ならできる!」のプラカードに励まされ、また走り出した。辛い時に励ますのは、かえって言われた本人は辛いので、がん患者さんは励ましてはいけない。特に、再発患者さんは精一杯頑張って辛い思いをしているので、それ以上頑張らせず寄り添うことを考えなさい。そのように我々がん治療をする医師は教育されてきたし、そのように実践してきた。がん患者さんに簡単に頑張ってと言ってはいけない。だが、本当だろうか?辛いときこそ、心から応援してくれる優しい気持ちが必要ではないだろうか?そんなことを冴えない頭に思い浮かべながら、沿道の応援のなかをひたすら前にすすんだ。
              ハーバーランドを過ぎたところで、今度は、がんセンター看護師で今回のお誘いをしてくれた金川さんが、三木先生と一緒に応援に駆けつけてくれていた。コールドスプレーを足にかけ、飴を含ませてくれた。感謝、感謝。ここからが上りの浜出バイパス。このマラソンコースの中で最大の難所である。30kmを過ぎての上りはきつい。それを知ってか、大会実行委員会は、一般応援の入れない道沿いに、女子高校生を並ばせ、応援させると聞いていた。
              神戸マラソン最大の難所に向かって走り出した私に向かって金川看護師が叫んだ。「先生〜、女子高生が待ってるからね〜」
              女子高生の皆さんに励まされ、長い長い浜出バイパスを登りきり、ついに神戸大橋に立った時、振りかえって神戸の街を見渡してみた。あの震災から20年。今回走ってきた復興した街並み、みんな笑顔の応援を思い浮かべながら、初めてこのマラソンの意味を感じ始めていた。
              ポートアイランドについてからは、フィニッシュまでの時間を惜しみながら、しっかり腕を振り一歩一歩走り続けた。最後のコーナーを曲がった後、ゴールまでの百数十メートルの直線。あふれんばかりの沿道の声援の中、全力でゴールを駆け抜けた。
              高尾信太郎、56歳2ヶ月
              初フルマラソン完走。タイム:5時間30分57秒
              達成感と悔しさと感謝の気持ちで走り終えた神戸マラソンであった。

                    兵庫県立がんセンター乳腺外科 
                    神戸大学乳腺内分泌外科       高尾 信太郎



              「大阪QOLの会の皆様へ」  (古谷義彦先生)

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                大阪QOLの会の皆様へ

                大阪府済生会中津病院の古谷です。

                今日は8月15日 

                今年は梅雨にあまり雨が降らなかったにもかかわらず

                今になって大雨、酷暑、台風など 

                明らかに今までと違う気候になりました。 

                瀬戸内海の気候がこれほどありがたく感じたことはありません。 

                皆様は御無事でしょうか。
                 
                8月は、なにわ乳がんの会のため 

                大阪QOLの会は休会です。 

                その穴埋め対策で今年は私にコラム当番が回ってまいりました。 

                前回は自己紹介でしたので 

                今回はこのごろ感じていることを書きます。

                大阪QOLの会、なにわ乳癌の会、

                ともに随分と盛況です。 

                会を支えて下さっているボランティアの方々のおかげが一番だと思います。 

                2番目は

                情報過多のうえに一体なにが本当かわからない時代になってきたので 

                当事者どうし生で接したいというニーズが生まれているように感じます。 

                3番目は

                知的好奇心が旺盛な方どうしが大阪QOLの会で

                ネットワークをつくっておられることが原因だと思います。

                私も大阪QOLの会に出席させて頂いたおかげで

                時々すごい人がいることに気づくようになりました。 

                今、思いつくのは2人です。

                ひとりはボランティアの立会人の方。

                負い目のある人は、患者会などに来られません。 

                負い目は他人には知られたくないものですし、

                また、いろいろと周囲の人に迷惑をかけたため 

                孤独、孤立し、

                半身不随や失明など

                ひどい状態まで乳がんを放置している方がいます。 

                こういう方に近所の人と称して診察時に一緒にこられ 

                介護保険や種々の申請をあっという間にこなした人がいます。

                最近、入院が必要となり紹介状を書いたら

                あっというまに入院先が決まりました。

                聞き及ぶところによれば、

                待っているあいだにも次々と携帯に電話がかかってきていたようです。

                なにがすごいかは少し解説がいりますが 

                条件として 

                豊富な医学知識 

                負い目のある方に寄り添うスキル 

                役所、医療機関への太いパイプ 

                人をみる目が最低限必要だということです。


                二人目は、大阪QOLの会に出席の人で

                今回の外部講師の方にパンを買ってくれた方。 

                講演が終わり、近くの有名なパン屋さんでパンを買ったところ

                大阪QOLの会出席の人が‘ここのパン屋さんはこれがおいしいのよ’と

                パンを下さったそうです。 

                この講師の方は、最近までいわれなき理由でひどい目にあっていた 

                東京下町出身の高名な方ですが 

                驚いたのと同時に、大阪はすばらしいと絶賛されていました。

                今回、

                大変不幸な結果になってしまった理研の笹井先生は

                まじめで真摯、純粋な方と伺っています。

                まさか部下に卒論をコピペするよーな人が入っているとは

                想像すらしていなかったと思います。

                もしも、があるなら

                外部講師に来てもらっていれば…。

                大阪のおせっかいパワーに接していれば、

                また違う結末になったかもしれません。

                時代はどんどん変化していきます。 

                気候も、国のありかたも、

                医療体制も、治療法も 

                経済のしくみも、自分の体も。 

                大阪QOLの会で、

                私も知的好奇心をさらに広げて勉強していきたいと思っています。






                次回の大阪QOLの会は、2014年10月11日(第2土曜日)です。
                テーマ:「 医療者とのコミュニケーションの取り方 」
                講師 :椎野 育恵 先生 (淀川キリスト教病院 がん化学療法看護認定看護師)
                です。



                大阪QOLの会のホームページへはこちらをクリックしてください。

                「乳がん患者会に来てみませんか」

                0
                  最近、大きな病院にはがん患者さんを支援するための

                  がん相談室やがんサロンができています。

                  私が手術を受けた病院にも

                  「がんサポートプログラム」があり、

                  食事の工夫や体力づくりのヒント、

                  お薬の知識や

                  リンパ浮腫予防のための自己管理方法などを

                  無料で学ぶことができます。


                  私は時々、自分自身の問題を解決するために

                  このプログラムに参加しています。

                  そこでは年齢、性別に関係なく

                  今の生活を少しでもよくしていきたい

                  と願う患者さんやそのご家族と

                  出会うことができます。



                  先日も腎臓がん、大腸がん、子宮がん、

                  乳がんの患者さんたちと、

                  テーブルを囲みながら

                  とても温かい時間を過ごしました。

                  その中で一人の男性が

                  「自分と同じ種類のがんの人と話せたら一番いいですね」

                  とおっしゃった時、

                  他の皆さんも「そうですね」

                  とうなずかれました。



                  私は乳がんが見つかる前に

                  婦人科がんの手術、治療を受けていました。

                  その頃の私は、やはりその男性と

                  同じ気持ちでした。



                  どのがん種でも

                  その手術を受けた人にしかわからない

                  特有の症状があります。

                  婦人科がんの手術後の悩みは

                  女性同士でしか話せない

                  デリケートなものでした。



                  大阪QOLの会は「乳がん患者」の会です。

                  会場は
                  グランフロント大阪に近い済生会中津病院ですが、

                  どこで治療を受けていても

                  自由に参加することができます。


                  ここは乳がんという同じ体験をしてきた

                  患者同士がともに語れる場所です。

                  少人数のグループの中に看護師や

                  患者世話人が加わり、

                  その中で日ごろ気になることや心配ごとを

                  気がねなく相談することができます。

                  皆さんのお話を聞くだけでいいからと

                  静かに着席している方もおられます。

                  相談の中で医師のアドバイスが必要なもの

                  については

                  後半の質問コーナーで医療世話人の先生方に

                  直接尋ねて、専門医の意見を聞く

                  機会もあります。



                  関西地方には他にもいろんな乳がん患者会があり、

                  それぞれが特徴をもった活動をしています。

                  そのどこかに

                  ご自分に合う患者会があるかもしれません。

                  FACE TO FACEにかなうコミュニケーションはないといいます。

                  この春、会うことの素晴らしさを見なおして

                  一度乳がん患者会に来てみませんか。


                  次回の大阪QOLの会は、4月12日(土曜日)です。

                  講師は小西 宗治 先生(兵庫県立西宮病院 乳腺外科)

                  「これからの乳がん治療」をテーマにお話しくださいます。

                  以前お世話になったドクターに元気な姿を見せるために

                  参加してくださるのも大歓迎です。

                  患者ボランティア 植田






                  大阪QOLの会のホームページへはこちらをクリックしてください。



                  古谷先生 自己紹介

                  0
                     乳腺外科 古谷義彦
                    自己紹介 
                    みなさま こんにちは。 私は2008年4月から大阪府済生会中津病院に赴任して参りました古谷です。 自己紹介の文章を書くように言われて20ヶ月になりますがこの年になると 自分で思っている自己と ひとさまが感じている像との差がおそろしく、ついつい遅くなってしまいました。中津済生会病院に赴任してはや1年8ヶ月が経ちました。中津済生会病院は歴史があり 設立の理念も素晴らしい病院です。毎日が忙しく1週間のうち半分は昼食をとることが出来ずメタボとは程遠い生活を送っています。空腹になると易攻撃性になるようで 自分では自分のことをこんなにおとなしい人はいないと思っていましたが病院のなかではちょっと違うようです。いままで優しそうなひとに見えるといわれて50年くらい過ごしてきましたのでその気でいましたが1年で3回もけんかをしてしまいました。 
                    自己評価 
                    自他ともに認める部分ですきなところ 背が高いので高いところにあるものが取れる。いやなところ わがまま 自己中であること。 
                    ひそかに思っている自己評価 好きなところ まじめで体力があること。いやなところ 負けるけんかはしないこと。 ひとさまとちょっと違うかなと思っていること 神様がいるかも知れないと時々感じること。最初にそう感じたのは 大学で遺伝子の講義を聞いたときにDNAといわれる遺伝情報の設計図が実は4種類でその組み合わせだけから出来ており すべてのヒト,ゴキブリ,ムカデはてはゾウリムシまで組み合わせが違うだけで基本はいっしょであると聞いてからです。  現在興味を持っていること 女性ホルモンと乳癌についてです。
                    中津済生会病院の乳腺部門はいい先生が続いた歴史があるので 伝統を汚さぬようがんばっています。 よろしくお願いいたします。

                    「心の原稿」  (高尾 信太郎先生)

                    0
                      その日、彼女はなかなか現れなかった。
                      第14回QOL輪唱兵庫講演会の当番世話人に決まってすぐに、その会での患者体験談発表を彼女に頼んでいた。
                      予定されていた講演者は3人で、彼女は最後。二番目の人の講演が始まっても現れず、先に教育講演をしてもらう手はずに奔走していたときであった。いつも外来で耳にするよく通る声がした。
                      「ごめん、先生。遅くなって」
                      「どうしたんかと思って心配したよ。プログラムの順番を入れ替えて待ってよと思っていたとこや」
                      「客席の一番うしろで、みんなが話すの聞いててん。私、毎年この会を楽しみにしていたから、今年も聞きたかってん。」

                      彼女、Tさんに初めて会ったのは、前任のK先生が辞めた後の外来を私が引き継いだ2003年6月のある日だった。持ち前の明るさと人見知りしない性格で、すぐに打ち解けて話ができるようになったものの、術後3年が経過しており、再発兆候もなく、順調に経過する患者の一人で特に気に留めることもなかった。
                      そんななか、毎回の採血で血中CEAが不気味に上昇を続けていた。

                      彼女は、両親が早くに離婚し、一人っ子として施設で育ったこともあって、一人娘はいたものの、以前よりもう一人子供を産むことを熱望していた。ただ、妊娠が乳癌の再発に結びつくのではないかとの恐れもあり、そのことを私になかなか言い出せないでいた。一旦は上昇を認めたCEAも下降傾向を示し、喫煙家である彼女にとっては正常範囲であったことにひと安心した私は、元の乳癌がER(-),PgR(-)のホルモン非感受性であったこともあり、次の妊娠は再発には影響しないし、海外では乳癌術後に妊娠、出産したケースはたくさんあることを彼女に告げた。

                      数ヵ月後の外来受診日前日、彼女のデータをみると、血中CEAが正常上限を超えてさらに上昇していた。「再発に違いない」。翌日、どのように彼女にその知らせをつげようか、暗い気持ちのままに一日が過ぎ去った。
                      翌日、精密検査を受けるために妊娠をしばらく待つ事を告げる決心をして診察室に彼女を招き入れた途端、彼女はいった。
                      「先生、妊娠した!」
                      一瞬、目の前が真っ暗になったような感覚に襲われた。満面の笑みを浮かべて話す彼女を前にして、言葉を失ってしばらく呆然としていた。

                      「香奈子が離れへんで付いてきてしもてん」
                      次女の香奈子ちゃんが車イスの彼女の手をしっかり握りしめて立っていた。どうなるかわからないまま、親友の女性とともに舞台に彼女を送り出した。彼女の横顔からは、気負いも緊張もみられず、いつもの良く通る声で、自分の生い立ちからこれまでの治療経過を話しだした。原稿も見ずに淡々と、目の前の人に語りかけるように話す彼女、彼女に抱きかかえられながら、無邪気に甘えている香奈子ちゃんを舞台のそででじっとみつめていた。

                      被爆を伴う精密検査はできないことから、まず、エコーで局所、肝臓を祈るような気持ちで調べていった。しかし、その日の検査では再発巣は認められず、そのまま経過を見ることになった。一ヵ月が過ぎ、CEA,CA15-3はいずれも上昇を続け、再発は確実となった。妊娠12週を過ぎてから完全なシールドを用いてCTを行ったところ、肺、肝に再発が認められた。事態は最悪となり、中絶をして一刻も早く化学療法を開始するか、妊娠を続けたまま化学療法を開始するかの決断を迫られた。

                      「私はそのとき先生に、絶対にこの子を無事に産みたい、といいました。自分の体のことなんか考えていませんでした。それぐらい欲しかった子供だったんです。」彼女のゆっくりした語りが会場に静かに響き、皆、車イスの彼女と香奈子ちゃんに釘づけになっていた。

                      妊娠の継続を彼女は強く希望した。そこで残された選択肢は二つ。すぐに化学療法を開始するか、出産まで待って化学療法を開始するか。妊娠中の乳癌患者に対する化学療法は、12週以降の安全期間にはいれば、早産のリスクはあがるものの、胎児に対する化学療法の影響は無いとする報告が多く、安全に行える可能性が高かったが、まとまった報告や長期観察の報告は無く、安全な出産を希望する彼女に、自信を持って化学療法を勧めることはできなかった。

                      「私はとにかく無事にこの子を出産したかったし、親の都合で早くに産ますことはしたくなかったんです。ですから、自然分娩での出産希望を先生にいったんです。そうしたら、普段やさしい先生が真剣に怒ったんです。」

                      妊娠が進むにつれ、肝転移は徐々に増大し、肺も癌性リンパ管症の所見を示しだした。一刻も早く出産させ、化学療法を開始しなければ、手遅れになる可能性があった。「子供を産んでも育てなければ何の意味も無いんじゃないのか!帝王切開で産んで、一刻も早く化学療法に入らなければ、生まれる子の成長もみられずに死んでしまうぞ!」いつに無く声を荒げて、必死に彼女を説得していた。
                      「県立こども病院産科に連絡をとって、母子ともに安全に帝王切開による出産が可能なのはいつからかを診断してもらう。帝王切開で出産したら、翌日にでもこちらに転院して化学療法を開始する。」
                      半ば強引に計画を進めながら、自然分娩にこだわる彼女を必死に説得した。

                      ようやく彼女を説得し、県立こども病院へ。妊娠27週に帝王切開で無事女児を出産。主治医に出産後の経過が問題ない事を確認し、翌日、救急車で転院させた。肺転移は多発し、癌性リンパ管症の像を呈しており、肝転移も無力な我々をあざ笑うかのように増大し、腫瘍マーカーは想像以上に高値を示していた。彼女の乳癌はHER2陽性。ハーセプチンが使えることにわずかな望みをいだいて、祈るような気持ちでハーセプチン+タキソテール併用療法を開始した。

                      まさに奇跡とも言うべき著効をみせはじめたのは投与開始からわずか数日後であった。生まれた子供の様子は、旦那さんが毎日ビデオに撮って彼女のもとに届けていた。病室でビデオを何度もみながら彼女は劇的な回復をみせ、やがて元気に退院していった。

                      「肺や肝転移が急速に落ち着いていったんです。大きな副作用も無く化学療法が続けられました。でも8ヵ月後には脳転移が起こったんです。」
                      会場に一瞬、張りつめた雰囲気が漂った気がした。「脳転移」という絶望的な言葉に、同じ乳がん患者としてみな敏感に反応しているように見えた。

                      その後の彼女の闘病生活は次々におこる再発との闘いであった。脳転移に対しては、全脳照射、ガンマーナイフ、肺、肝転移には、ハーセプチンと抗がん剤の併用を繰り返した。彼女はいつも自分の乳がんに「お願いだからあばれないで」と語りかけていた。そして,家族や友人がみな協力して彼女の闘いを懸命に支えようとしていた。
                      その後も乳がんは容赦なく彼女の躰を蝕み、やがて髄膜播種による下半身麻痺で彼女は車イス生活を余儀なくされた。絶望のどん底に引きずりこまれそうになったそんな彼女を救ったのはやはり家族だった。
                      そんな中、周囲の心配をよそに、彼女は、私との約束をはたすため講演会への参加を決めた。

                      「私は、乳がんが再発してこんな躰になりましたが、ここにいる、念願の二人目の子供も出産して、家族のささえでがんばっています。私と同じ年代の若い乳がん患者さんも、病気に負けずにがんばって下さい。」
                      講演は予定時間を20分以上オーバーして拍手喝采のなかで終わった。
                      *。
                      「みなさん、しっかりした原稿を作ってこられて、上手に話しはるわ。私なんかメモしか用意してなかったから、とりとめも無く長い時間話してしまってすいません。」 「そんなことないよ。君はみんなに話しかけるように、ぜんぜんよどみなく話してたんで、よく原稿もなく、あんなにきちんと話せるなーと感心していたんよ」
                      しばらく考えるしぐさを見せて、彼女はこう答えた。
                      「先生、それは、『心の原稿』をもっているからよ。乳がんの患者さんはみんな、それぞれが『心の原稿』をもっているから。」

                      それから数ヵ月の間、彼女は家族と多くの友人に囲まれ貴重な時間を過ごし、
                      皆に見守られて旅立っていった。誰もが彼女の話をするとき、笑顔を見せるのを見ていると、彼女の強さと明るさがどれだけ多くの人に勇気を与えたかがうかがえる。
                      彼女が逝って数ヵ月、少しずつこの原稿を書きながら、自分にもいろいろな患者さんとの付き合いの中で書き連ねてきた『心の原稿』があることに気づかされている。桜の花が散っていくのをながめながら,この原稿をそっと心の奥にしまい込んだ。

                      兵庫県立がんセンター乳腺科 高尾 信太郎

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